硬直1000F

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きのこの山/たけのこの里の作用論

 

 

宗教。

 

 

 この2文字を見て、みなさんは何を感じるだろう。「怪しい」「怖い」「なんとも思わない」「そんなことよりVRのAVヤバくね?」など様々だろう。だが、怪しく感じるのは昨今いわゆるカルト宗教が横行しているからであって、実際宗教それ自体は怪しいものでも怖いものでもないし、実際VRのAVはヤバい

 

 そもそも宗教のいちばん大きな仕事は何かというと、死への恐怖を和らげることだ。死後、自分がどうなってしまうかわからない。怖い。誰でもいいから「理由付け」をしてくれる権威的な存在がほしい・・・という願い。宗教の根源はここにある。その「理由付け」が仏教でいう輪廻だったり、キリスト教でいう天国だったりするわけだ。そもそもこのような性質があるのだから、死が近づく高齢者になるにつれ信仰心が増していくのも合点がいく。そういった意味で、人間が死ぬものである限り、宗教は不滅だ。

 

 しかし、近代以降になり、宗教が以前ほど力を持たなくなった。理由はまあいろいろあるっちゃあるが、端的に言うと科学が発展したからだ。近代化以前の世界で、宗教が理由付けをしていたいろいろなもの(死んだら天国に行くとか、人類はアダムとイヴから生まれたとか)が科学によって否定(心臓が停止すると脳に血液が供給されないから意識がなくなるとか、人類は猿からの進化で生まれたとか)されてしまったからだ。めんどいのでこのへんの詳しいことは各位「近代化」でググってください

 

 宗教が否定されたことで、我々は信仰を持たなくなった。私も一応仏教徒の体は為しているが、実際はとくに何も信じていない。むしろなんだったら最近は仏よりソフトオンデマンドへの信仰心のが高いくらいだ。問題なのは、「信仰」は、もともと人間にとって、生きることの次くらいに優先順位の高いものだったことだ。そこがポッカリと抜け落ち、空洞になってしまったのだ。

 

 そして現代、この空洞にすっぽり入ってきつつあるのが、「嗜好」という新たな尺度なのではないだろうか?と私は思っている。それくらい、現代人の「嗜好」への執着は、「信仰」に近いものがある

 

 

 

「きのこたけのこ戦争」という言葉がある。

 

「絶対たけのこでしょ」

「きのこのが食べる楽しさがある」

「たけのこのが売り上げが上」

「たけのこ厨UZEEEEEEE」


 などというやつ。SNS上では見飽きた光景だ。なんというか、全体的にボケを潰してしまうようで申し訳ないが、まあこれはみんな冗談でやっている。今のところ。

 

 きのこの山/たけのこの里は、嗜好品だ。生きるためになくてもよいものだが、好きならそれにお金を使えばいいというやつだ。・・・一昔前までは、嗜好品はこのような認識だった。しかし、現代の嗜好品は少し毛色が違う。現代人は、嗜好品をたいへん重視している。お菓子はリアリティがないかもしれないが、これがタバコ、ソシャゲ、男性/女性アイドル、車・・・となってくると、ひとつくらいはイメージできるものがあるのではなかろうか。ある嗜好品に心酔し、お金をかけ、自分の生きがいのごとく崇拝する。それは、マリア像の前でひざまづく敬虔な教徒の姿に似ている。

 

 断っておくが、これは決して悪いことではない。熱を失いつつある現代社会で、何であれ入れ込めるものがあるというのは誇っていいことだと思う。かくいう私も、アイドルではないが、ソフトオンデマンドの女性社員をみな一様に崇拝しているし。そうではなく、ここで話題にしたいのは、これら嗜好品に対する「信仰」が、コミュニケーションを前提としたキャラ作りのためのものにすぎないということだ。我々は、誰かに見せるために嗜好品を買っていると言ってもいい。極端な話、自分一人しか存在しない世界でソシャゲのガチャをするだろうか?私はたぶんしない(でも今もしてないからこれはあんまり説得力ないかも)。

 

 先も述べたように、嗜好品はなくてもいいものだ。どうでもいいものだからこそ、個人の趣味が出やすく、キャラを形成しやすい。SNS上で行われているのは、このキャラを用いたコミュニケーションゲームだ。「きのこの山しか認めないキャラ」「たけのこの里しか認めないキャラ」になりきって、みんなでコントを作っていくゲーム。

 

 しかし、これを本当の「信仰」だと誤認する若者が出てきたら?「きのこの山派とたけのこの里派は対立関係にあるんだ。私はたけのこの里が好きだからきのこは認めない。きのこ派は全員殺せ!」というやつが出てきたら?ありえない、と思うかもしれないが、この先どこかでそういう事件が一度くらい起こっても不思議ではない。「・・・容疑者の少年はきのこの山が好きだと言っていたから殺した』と供述しており、容疑を認めています・・・」みたいな報道、想像できなくはないのではないか?そのときみなさんが持つであろう感想、「やべぇやついるもんだな」というその思いは、果たして誰に向けられるのか。犯人の少年?違う。「たけのこ派」だ

 

 言ってしまえば、現代に残っている信仰だって、裏を返せばキャラづけのためのレッテルでもある。「キリスト信じてるキャラ」「アッラー以外認めないキャラ」は、「きのこの山しか認めないキャラ」と何が違うだろうか。仮に3000年後くらいに「きのこ教」「たけのこ教」みたいなのがマジの宗教として成立していたとして、私はきっと驚かない。クッソ笑うと思うけど。

 

 「信仰」が「教徒(キャラ)」を作る時代は終わった。これから我々が経験するのは、「嗜好」が「教徒(キャラ)」を作り、「信仰」になっていく時代だ。

 

 

 最後に誤解がないように言っておくが、この記事で述べたいのは「何かを信仰するのは危険だ」とかそういうことではないし、「きのこの山/たけのこの里のどっちが優れている」とかそういうことでもない。今後は今までとは違う見方をする時代が来そうだよ、ということだけであって、きのこたけのこ戦争にいまさら火を付けようとかそういう意図は全くないことを宣言しておく。

 

 

いや、だってねえ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう考えてもたけのこ完全勝利だし?