1ヶ月ぶりの記事でこれ?って感じなんですが、まあ聞いてくださいよ。世の中のネーミングセンス、終わってます。アニメとかの最終回だけEDが本編にかぶって流れたり、映像がいつものやつと違ってるとき、「ああ、これで終わりなんだな・・・」ってしみじみと実感しますよね?あのくらい終わってます。ほんとそれだけの記事です。ほんとうにそれだけなので、読後に「今回はつまらなかった」とか「毎回自己満で書いてるだけじゃん」とか「承認欲求満たしたいだけのかまってちゃんは死ね」とか言われても責任取りませんしじゃあ逆に聞くけどお前は承認欲求がないんか?あ?やっちゃうよ?
「天津飯」という名称に納得がいっていない。いや、味はめちゃくちゃ好き。王将行ったらだいたい食べちゃう。でもやっぱり名前には納得がいかない。なんでこんなものがまかり通っているんだ。
天津飯の上に乗ってるカニ玉部分、なんという名前か知っているだろうか?その名も「芙蓉蟹(ふーよーはい)」。「芙蓉」は卵焼き、「蟹」はそのまんまカニのことを表す。つまり、カニ入り卵焼きを芙蓉蟹と呼んでいるわけだ。これは名前通りというか、当然納得できる。
これに対し、「天津」は地名だ。これが米の上に乗ると「天津飯」になる。なんで????????
Wikipediaで調べたところ、天津飯のもとの名前は「天津芙蓉蟹肉飯」で、天津地方の米を使っていたことからこの名前がついたらしい。で、長いから天津飯と。は?略すとこそこじゃなくね?
そもそもこの世の中には、慣例的に残ってはいるものの、実利としては形骸化しているものがあまりにも多い。年賀状、お香典、住宅展示場の看板を持つバイト、などなど。これらは本来、内実にこそ意味があるのであって、「新年をともに喜びたい」という気持ちがあればわざわざハガキを出す必要はないのだ。住宅展示場の看板は、台座に固定して立てておけばいいのだ。ぜったい人が持つ必要ない。あんなもん実質賽の河原だ。このようなものはなぜあるのかの意味を考え直し、実利に沿った状態に是正していくことが必要だと思う。
その観点で言うならば、「天津芙蓉蟹肉飯」の内実は”芙蓉”だろう。天津飯に今改めて名前をつけるなら、”芙蓉飯”になるはずだ。
というか、天津地方の米を使っていたから天津飯になるなら、日本の米で作った天津飯はどうなるんだ?新潟飯?秋田飯?それもう普通のライスだろ。
たしかに「芙蓉飯」よりも「天津飯」のほうがインパクトがあるというのもわかる。地名を入れて中国っぽさを出していこうという魂胆だろう。しかし、なんでも地名を入れれば良いというものでもないのだ。サービスエリアのソフトクリームに「北海道バニラ」とかあるが、北海道はべつにバニラが名産なわけではないのと同じだ(ちょっと違うか)
ソフトクリームで思い出したが、「モナ王」というアイスにも納得いっていない。名前からしてモナカの王というイメージのネーミングなのだろうが、モナカの王はさすがにあんこ入ってるやつに決まってるだろ。バニラアイスが入っている、いわば邪道の者が王を称するなど、片腹痛い。
・・・・・・と長年思っていたのだが、最近になって少し思い直したところがある。もしかしたら”モナ王”は、征服王朝の王なのかもしれない、ということだ。
征服王朝とは、本来その場所に土着ではない民族が、元から住んでいた民族を征服してひらく王朝のことだ。平たく言えば侵略によって建国された国ということである。歴史的には中国の清(中華民族ではなく、女真族が建国)や、インドのムガル帝国(インダス民族ではなく、中央アジアのイスラム教系民族が建国)などがある。
昔々、モナカという場所に、とても平和な国がありました。そこでは人々はつぶあんを神からの授り物(ギフト)として祀っており、国民は敬虔な信徒として、清貧を貫いて過ごしておりました。心優しい王さまのもとには、たくさんの若者が労働力として集い、老若男女がお互いに支え合って暮らす、非常に美しい国でした。
しかしあるとき、近隣の民族である埃主(あいす)族がその国に目をつけました。埃主族は粗暴で野蛮でしたが、武力は他の民族の追随を許さず、小国であればひとひねりに征服できるほどの力を持っていました。埃主族は機を見計らってその国に攻め入り、夥しい人間を虐殺した上、なんとか国を守ろうとした王も問答無用で断首、国を乗っ取ってしまったのです。
埃主族の首領は王を殺したのち、自ら血塗られた玉座に座ると、こう言いました。
「今日からは俺がこのモナカの国の王・・・モナ王だ!!!」
かくしてモナ王の統治する国(モナ王国)が作られ、モナカ初の征服王朝(モナ王朝)として存続していくことになったのです。これ原作でキングダムみたいなやついけるな。どなたか一緒にビジネスしませんか?
ここまでは、「王」をあくまで世襲制(絶対君主制)のものと捉えた場合の問題だ。では、立憲君主制(王の権限に制限があり、民主主義によって王が選出される制度)のもとでの王として考えた場合はどうだろう。
いらんサイドストーリーは抜きにしても、まあ確かに私の感覚では普通のモナカよりモナ王のがおいしいし(うるせえ。「私は普通のモナカのほうが好きだな~」とか言うんじゃねえ。そのおしゃべりな唇、キスで塞いじゃうヨ・・・?(男はシンプルに黙れ))、実力でいけばモナ王のほうがモナ王国の王にはふさわしいといえる。となれば、まあべつに王と名乗ってもらっても困ることはないのが事実だ。
しかしこの場合、チョコモナカジャンボをどう扱うかということが新たな問題として浮上してくる。いうまでもなくモナ王よりはチョコモナカジャンボのほうがおいしいし(うるせえ。キスで塞いじゃうヨ・・・?(男はシンプルに黙れ))、王としての器はチョコモナカジャンボに軍配が上がるだろう。モナ王国からいままでのモナ王の姿は消え、新たなモナ王としてチョコ=モナカ=ジャンボ王がモナ王国を治めることになるだろう。
いずれにしても、モナ王は王の器ではない。彼はモナ王国ではなく、モナカ公国に住むひとりの職人として、バニラアイスを作る仕事をするべきだろう。それならば納得ができる。モナカ公国原産の牛乳を使って作った「モナカバニラ」を世界にとど・・・
あ
やっぱり地名入っちゃうわ。