硬直1000F

3日でやめます

かつて天才だったおじたちへ ~馴れ合いはダサい?~

 

 

 ほとんどのみなさん初めまして。初めてじゃないやつら、いつもありがとな。ハブ石井です。普段はゲームを遊びながら、インターネットの片隅もとい画面端で、箸にも棒にもかからんことを書いたりしています。いや俺だってさ。華々しい画面中央に行きてえよ。でももうテキストサイトは時代遅れなんだってさ。誰か助けてくれよ。俺の顔の真横に刺さってるS版バヨネートをさ、抜いてくれよ。爆発が怖くて動けねえんだわ

 

 

 そんなこんなで最近はGGSTを遊んでおります。もともと発売後に少々やっていたんですが、しばらくしてブランクに入ったのち最近復帰しました。ちょこちょこ天チャレも発生するかな(全く上がれる気配はないけど)といった具合で、まあ楽しくやっております。ランクタワーでお会いしたみなさん、この場を借りて申し上げます。ごめんなさい

 

 

 

立ち回りをこの技一本でなんとかしようとする私の姿

 

 

 

 さて、最近飛ぶ鳥を落とす勢いで話題になっているGGST初心者鯖。面識がない中勝手に評価して恐縮なのですが、管理人のshuntaxさんの記事、めちゃくちゃ面白いし読みやすく、かつ洞察に富んでいて恐ろしささえ感じます。まだ読んでない人がいたら今すぐ読みに行きましょう。自分に自信があるということを忌憚なく言える人の文章は説得力があるし、私はそういう人が好き。この記事だけで3回も読み返しちゃいました。

 

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 そして感じるのは、こんなコミュニティがあっていいなあ~というシンプルな羨望。私が格ゲー初心者だったら間違いなく参加申請していただろうし、私がもっと上手かったら先生役として貢献したかった。ですが、現実は非情。私は格ゲー歴10年以上のおじだし、格ゲー歴10年以上のおじのくせにディキンソンのJDで乗っかることしかできないカジュアルプレイヤーです。残念ながら私はいずれの条件にも合致しません。

 

 

 それでもできれば、何か貢献できることはないか。そう考えて筆を執った次第であります。絵とか音楽とか作れたらさ。もっといいんだけどね。おじさん図工も音楽も2だったからさ。できることって言ったら文章を書くこととJDで乗っかることくらいなのよ。許してよ。それはもういいじゃん謝ったんだから!だからモテないのよアンタたち

 

 

 

 

 

 初心者鯖、確かに羨ましくはありますが、参加できないことに不平不満は全く感じていません。格闘ゲームにおける初心者は(言い方は悪いですが)"養殖"されるべきです。つまり同ランクの対戦相手と、質問できる環境があるに越したことはない。ひたすら対戦して初狩られて負けて、情報収集と地道な練習を繰り返せる”天然モノ”なんて、幻の存在です。おじ達は自分がそうやって育ってきたため、初心者にその幻想を見てしまう(これが悪意ない初狩りにつながる)わけですが、基本無料の良ゲーが溢れている令和の世にわざわざそんな茨の道を歩む人間はごくわずかです。そこまで打ち込んで生き抜いてきたおじのみなさん、あなた方は間違いなく天才です。それしか娯楽がなかったということはあるかもしれませんが、その情熱は普通ではありません。そして、格ゲー界には間違いなくあなた方が必要です。だからこそ、「今の初心者はいい環境があってうらやましいなあ、まあでも我々おじには不可侵の領域だから、こっちはこっちで楽しくやろう。」くらいでいいんですよ。

 

 

 これくらいのことがとうにわかっている多くのおじの皆様には私から申し上げることはございません。ただ一握りの、教育欲に支配されて持ちうる知識を全部ひけらかそうとしてしまう、そんな茨道育ちのおじ達へ向けて、自戒の念も込めて書いています。え?ぶっきらから立ちHSjcディレイ6JHSで青サイクされてたときだけ空投げが出る?はいはいおじいちゃん、隔離施設に戻りましょうね

 

 

 

 

 

 

 ただ、この初心者鯖の隆盛を見る中で、ひとつ私が疑問に感じたことがありました。それは、なぜ今までこうしたコミュニティがなかったのか?ということです。GGST初心者鯖の実現は情熱的で行動的、その功績は揺るぎない金字塔だと私も思いますが、決して「革新的な企画」ではありません。先人たちも同じようなコミュニティを作ろうとはしたはずで、でも実現できなかった理由があったはずです。それは何なのでしょうか?前置きが長くなりましたが、以下でこの疑問に対する、私なりの推論を申し上げたいと思います。

 

 

 

 

 まず前提としなければならないのは、原理的に格闘ゲーム”と”コミュニティの形成”は、相容れない――とは言わないまでも、相性があまりよくないことです。格闘ゲームをプレイする以上、そこには多かれ少なかれ”殺意”が必要です。「勝ちたい」=「(相手を)負かしたい」の気持ちがなければ、自分も相手も楽しくありません。そしてより順当に勝つためには相手の嫌がることをすべきですから、対戦相手に対してはムカつくのが普通です。このことは、コミュニティを形成する上で重大な欠陥ではないでしょうか。日常的にお互いムカついている組織が、円滑に機能するとは到底思えませんよね。

 

 

 ですが、この前提を超えてコミュニティが形成される条件があります。それは、相手に対する敬意(リスペクト)です。前述のムカつきをリスペクトが上回ったとき、我々はその相手に歩み寄る契機を得ます。「こいつこの技連打してるだけじゃねーか!」という相手に有効な対策が見つからず「いや、これはもうこういう対策なのか……?」となったり、「中下見えない上に暴れ効かないセットプレイ!?うぜー!」も自分で練習してみると「これガーキャンケアしながら全部埋めるの難しいわ……あいつちゃんと練習してたんだな……」となった経験、おじのみなさんなら一度はあるんじゃないでしょうか。

 

 

 そしてもう一つ、このリスペクトを感じるための閾値は、相手との友好度でどんどん下がっていくように思えます。よく対戦する友人に撃たれる割り込みSヴォルカと、ランクタワーで出会った見ず知らずの相手に撃たれる割込みSヴォルカでは、イラつきが違います。前者では「やられた!ナイス!」となるはずのところが、後者では「あああああああああああこいつ擦ってるオアアアアアアアアアアア!!!!クソクソクソクソ!!!!!」くらいにはなるわけです。じゃあそのSヴォルカをガードして後隙を殴ろうとしたら飛んできた2発目のヴォルカに当たっちゃったときは?これも前者なら「やられた!ナイス!」となるはず。いや流石になんねーわ。これは友人相手でも普通にキレていい。

 

 

 要するに、格闘ゲームとコミュニティの形成は簡単には直結しないけど、もともと気心知れた仲があるならムカつかずにリスペクトを持てることも多いため、コミュニティができ上がることもあるよってことです。あるいは友人といわず、「身内の人間だ」くらいの意識でもいい気がします。おじの感覚で言えば、「ホームゲーセンにいる、たま~に話す○○さん」くらいの感じでいいわけです。そしてさらに言えば、このリスペクトを持てる相手同士によるコミュニティは、普通の友人関係よりむしろ強い結束で結ばれることもあるんじゃないかと思います。このへんは自分の経験とかも含めて、実感としての観測値ではありますが。

 

 

 そう考えると、件の初心者鯖はプレイヤー達をまず”見ず知らず”から”身内”にしてくれます。旧来のゲーセンで「身内だ」になるためのハードルはちょっと高い。自分自身がそのゲーセンに居着かないといけなかったり、相手との初動のコミュニケーションを誤らないようにしないといけない(私もこれを失敗して遺恨が残った苦い経験もあります)。また、それなりの向上心や格ゲーの腕も必要です。ところがかの鯖では、悪く言えば無理矢理にでも、「同じコミュニティの人間だ」とラベリングするわけです。しかもそこには、強権の管理人(褒めてる)からの監視も付随します。少しの前科がある人だったり、それを知っている格ゲー村出身の人だったりが、お互いモラルを守って同じコミュニティに属せるのはありえない快挙だと思います。

 

 

 

 

 さて、このような前提の上で、こうしたコミュニティが興らなかった最大の理由は、格ゲー界に蔓延する”恥の文化”に起因するのではないか?と私は思います。

 

 

 格闘ゲームは勝つことが全てです。だから格闘ゲームのコミュニティに属するためには、勝つための努力を、抜かりなくすることが必須でした。むしろ「俺はキャラ対とかの情報収集のために他のプレイヤーに話しかけているんだ」という大義名分があったからこそ、ゲーセンコミュニティが発生したとすら考えられます。だからその中でのヒエラルキーは基本的に腕前準拠で、人間性に難があっても格ゲーが上手ければもてはやされる、なんてことはザラにありました。

 

 

 そんな中「みんなで仲良く格ゲーしよう」「勝てなくてもキャラが動いているの見てるだけで楽しい」なんていう人間を、格ゲー村は受け入れてくれません。この村は村八分判定が異様に厳しく、とにかく出る杭は打たれます。大した実力もないのにただ馴れ合うというのは、格ゲー界では”恥”とみなされ、”ダサい”と思われてしまっていたのです。

 

 

 ただ、本当はそういう楽しみ方だってあっていいはずなんです。もちろん、上を目指して練習と対戦に打ち込むことはカッコいいです。それは揺るぎない事実。でも、積極的にコミュニティに属したり、キャラ愛を語ったり、自己紹介カードを作ったりすることは、決してダサいことではありません。「格ゲー初めて2週間の初心者だけど大会主催します!」とか、「気になってる異性が格ゲー始めたから自分も!」とかさ。いいじゃない。私は格闘ゲーマーのこと好きですが、ここの価値基準はもっと寛容になってもいいところだと思います

 

 

 むしろ、人間としてのモラルみたいなところが重視されるようになってきたのはすごく好ましいことだと思ってます。「いやー格闘ゲーマーはスラム街出身だからさwww」などとよく聞きますが、それはハチャメチャなキャラとシステムのゲームがしたい!っていう意味であって、人間性に欠けることの免罪符ではないんです。お前の遅刻をスラムのせいにするんじゃねえ

 

 

 初心者鯖のすごいところは、(おじ達が勝手に感じていた)この「強くもないのに仲良しこよしはダサい」みたいな風潮を(少なくともコミュニティ内部においては)取り払ったところだと思います。”初心者が主役”とか”教え過ぎない”とかは、明白っぽい謳い文句に見えて、実は今までのコミュニティが徹底できていなかった盲点なんじゃないでしょうか。かの鯖がこんなに盛り上がっている理由はここにあるんじゃないかなあと、外様ながら考えております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この文章をアップするかどうか、ちょっと迷いました。なぜならこの文章自体、格ゲー村の基準で言えば”ダサい”からです。「話題の初心者鯖ブームに乗っかってるビュー数稼ぎ」であることに異論はありません。私はそれを否定しません。ですが、私が素晴らしいと思ったことは素晴らしいと文章に残しておきたい。それはダサいことではないという世界になってほしいという、そんな願いも込めて公開致します。お読みいただきありがとうございました。そしてランクタワー9~10階のみなさん、本日も対戦よろしくお願いします。

 

 

 

 

今日も俺はこれ一本でいく