ツイッターってやばくないですか?15歳以上の日本人がかなりの数やってて、その多くの人に個別に話しかけることができるツール。そこらのおじさんが女子高生に普通に話しかけられるツール。さすがに危険すぎる。お困りの女の子がいたら言いなよ。僕が守るからさ。え?アイツを倒せって?わァったよ。―――さーて、いっちょ世界、救っちまいますか―――(ご愛読ありがとうございました、ハブ石井先生の次回作にご期待ください!)
そんなツイッターを使いこなしているみなさんなら、クソリプという言葉はとうにご存知だと思う。えらい嫌われてますよね。これ。今回はこのクソリプなるものについて考えてみたい。
そもそもクソリプとは何か。このことについて、筆者が最も信頼しているWebメディアであるYahoo!知恵袋で調べてみた。それによると、Twitterなどでつまらない返信を相手に送りつけることを指して言うらしい。ベストアンサーがそう言ってるんだから間違いない。
この点については私も同意だ。クソリプはすべからくつまらない。一周回って面白いとかそういうコウメ太夫みたいなやつもあるが、ストレートに見たら絶対につまらない内容になると思う。しかし、たとえつまらない返信であっても、クソリプにならない場合は往々にして存在する。
魯迅@kokyou_suki
Shaznaの”すみれ September Love”、めっちゃいい~♡
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呂布@kan-u_shine
わかりみ!めっちゃいいよね!
このリプライは、つまらない。つまらないが、決してクソリプではない。それならば、クソリプは何をもってクソリプたりえるのか?
会話とは構造上、相手の返答を期待するものである。そして、我々はそのとき同時に、相手の返答の内容自体も予測していると言われている。「今日は天気がいいですね」と誰かに投げかけるとき、我々は「そうですね」とか「洗濯物干せそうでよかった」とか、そういう”返答の可能性範囲”を同時に設定しているのだ。
リプライは、会話だ。もちろんツイートの時点では会話ではないが、リプライがついた時点でそのツイートは会話の起点となる(ことが遡及的に決まる)。それならば、リプライにも当然この”返答の可能性範囲”が設定されるはずだ。
もうおわかりだろう。クソリプであることの要件は、つまらなさだけではない。もう1つ、”返答の可能性範囲”の乗り越え、というのも含まれるのだ。どうしたベストアンサー。間違ってるぞ。使えねえサイトだ。
先に挙げたリプライ例は、内容的にはつまらないものではあるものの、この”返答の可能性範囲”を乗り越えるものではない。だからセーフなのだ。俺が間違ってるとかいうツッコミはやめろよ。喧嘩になるから。俺キレたら何するかわかんねーからな。ぶちギレて友達病院送りにしたことあるしwそのときの記憶全然ねーからあとで聞いた話だけどw
つまり整理するとこういうことだ。
〈クソリプの条件〉
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返答の可能性範囲 |
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越えていない |
越えている |
面白さ |
面白い |
ユーモアのあるリプ (もらったらうれしい) |
予想外のおもしろリプ (超うれしい) |
つまらない |
普通のリプ (いらない) |
(逆にうれしい) |
※( )内は筆者の感想です
さて、昨今のインターネット社会において、このような”返答可能性の範囲”に着目している最大の事例が、コミュニケーションAIだ。
コミュニケーションAI(以後AI)の発展はめざましい。しかし、現状ではその受け答えは完璧ではない。柔軟な意思疎通と当意即妙な応答は、まだまだ青写真の段階だ。
筆者とポケモン公式LINEロトムの会話。ルールを確認しただけなのにだいぶ煽られた。
さて、上記の画像でロトムが最後にしている発言は、面白いものでもない上、当然”返答の可能性範囲”を逸脱している。つまりクソリプだ。しかし我々は、このAIの発言をもって、「話の通じないヤツだ」とは思わないだろう。だって、相手はAIなのだから。
ここに、まず1つの帰結を見て取ることができる。相手がAIであるという前提があれば、我々はクソリプをクソリプと感じることはないのだ。そしてこの命題は、新たに2つの逆説を導くことになる。
先立って、クソリプとAIの相関を述べた。では、我々がクソリプにここまで嫌悪感を覚えるのはなぜか?温かく看過できないのはなぜか?その理由は、”不気味の谷”にあると私は思う。
“不気味の谷”とは、ロボットが人間に非常に近づいたとき、親近感から嫌悪感に変わる一定のラインのことである。詳しくはWikipediaを参照してほしい。要約すると、〈人間に非常に近い・でもロボットの要素が残っている〉という存在は、生理的に気持ち悪いということだ。初音ミクとかが最初ちょっと気持ち悪かったのもこのせいだと思う。PS2くらいのリアル系のCGも気持ち悪い。LINEのひとことコメントにポエム書いてるやつも気持ち悪い。なーんてうそうそ、思ってないよ。ちょっとしか。
我々がクソリプに感じる嫌悪感は、まさしくこれに該当するのではなかろうか。人間でありながら、AIのような返答をしてしまう存在への嫌悪感。「人間に非常に近いロボット」に対するそれではなく、「人間であるはずのものがロボットに成り下がったような状態」に対する嫌悪感。
クソリプは、人間が不気味の谷を転がり落ちる、そのときの嫌悪感を体現しているのである。
② クソリプこそが人間を人間たらしめる?
ネット上のマナー(ネチケットっていう言葉はおじさん臭いので使わないことにしている)(っていう意識を持ってる時点でもうおじさんなんだろうな。)(おじさんとか言うなよ。傷ついた。傷つきました。傷ついた天使はまだ見ぬエデンへ飛び立つのさ。エデンは吉野家かな?おじさんだからね。ははは。はぁ。)でも吉野家の牛丼がいちばん紅生姜との相性がいいんだよね。生卵もいいよね。ってカッコ終わってるやんけーーーwwwwww(ズコー(おじさんのノリ)なんだこれ。クソリプの話をさせてくれ。
ネット上のマナーを守れと言われることがままある。それはとりもなおさず、「画面越しに人間がいることを想定せよ」という意味でもある。ということは、我々は「相手は人間ではない」と思ってしまう状況が起こりやすいということでもある。
このことは、先の命題にも関わってくる。我々は相手を人間だと思うからAIの返答にも似たクソリプを気持ち悪いと思うのである。それならば、我々は画面越しの相手を、人間と思うこともあれば、人間ではないと思うこともある、ということだ。インターネット上のコミュニケーションは、この意味で非常にアドホック(=その場凌ぎ)な相手を仮想して行われているようだ。
とすれば、我々がクソリプをクソリプだと認めたとき、それは同時に、「相手を人間と認めている」ことにはならないだろうか。
クソリプの嫌悪感は、先に述べたとおり、相手を人間だと想定し、それがAI然とした発言をすることに起因しているのであって、相手が人間だという前提なくしては成り立たないものである。
クソリプをクソリプだと認めること、それはつまり、相手を人間だと認めることでもある。ロボット工学者の石黒浩氏に、「人間について考えない者は、機械と同じだ」という至言もある。コミュニケーションが形骸化し、冷め切った関係性に囲まれる現代社会の中、もしかしたら血の通った温かなコミュニケーションは、クソリプにこそ内包されているのかもしれない。
ということで、今後はどんどんクソリプしていこうと思います。おじさんだから。僕以外のおじさんのクソリプも温かく見守ってあげてくださいね(^_-)「殺すぞ」とか言っちゃダメ!凍結されちゃうゾ☆