硬直1000F

3日でやめます

天使と悪魔はぽたぽた焼きの夢を見るか?

 

 

 今年もまた、切なくなる時期が来た。きたる12月25日、そう、志村正彦の命日だ。クリスマスだかなんだか知らんがカップルどもはセックスなんてしてないでフジファブリックを聴けオラッ!個人的にはセカンドアルバムがおすすめだよ。カップルで仲良く聴いてね。(情緒の振れ幅がすごいとよく言われます)

 

 

 

 

 

 さて、先日何の気なしにローソンを散策していると、一時期話題だった商品を発見した。「悪魔のおにぎり」というヤツだ。試しに買って食べてみたところ、たしかにおいしい。私は舌の偏差値がクロマティ高校レベルであるため、だいたい何を食べてもおいしいのだが、これはまさに米界のジャンクフードといった様相、なんかだしの味と天かすの味がしてよくわからんがうまい(小学生の食レポ)。うまいのだが、味に深みとかは全くないので食べたあと完全に”無”になることがわかった。”無”を恐れぬ強き心胆の持ち主には是非ご賞味いただきたい。

 

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悪魔のおにぎり。天かすでたぬき要素を入れたかったんだろうが、絶妙にスベっている


 

 

 ここでひとつ気になることは、「悪魔の」というネーミングだ。調べてみると、どうやらおいしすぎて止まらなくなる、虜になってしまうことから悪魔と名付けられたらしい。意外に安直な名付けられ方だった。

 

 しかし、なぜ悪魔なのか?魔王やサタンとかではだめなのか?「サタンおにぎり」でもいいのではないか?得体は知れないが、結構”惹き”はある気がする。バスボム(入浴剤のおしゃれなやつ)とかも意味不明でしたが言われると納得、っていう感じもありますしね(初めて聞いたときはテロの手口か何かかと思った)。

 

 

 

 よく似た例として、「天使」や「鬼」は商品名につけられることが多い。「天使のチョコリング」だったり、「天使のはね」とか「天使のブラ」とか、食感や味、着け心地の柔らかいものには天使が使われる。また、「鬼ころし」や「鬼旨辛担々麺」など、口にしたときの刺激が強いものには鬼がマッチするようだ。

 

 だが、不思議なことにこれらの商品に「女神」や「閻魔」は使われない。「女神のブラ」ではちょっと生々しさが出てしまう(なんなら女神様のカイデーwなパイオツwまで想像できてしまう)し、「閻魔殺し」はもはや最強武器(最後にパーティに入るマスクで顔を覆ったキャラが使う、自傷効果があるタイプのやつ)だ。

 

 

 

 つまり、我々がよく目にする「悪魔」「天使」「鬼」などは、その存在自体をイメージしやすいことからネーミングに用いられているといえそうだ。悪魔が提供するものは麻薬的効果がありそうだし、天使のそれは柔らかい食感でありそうだし、鬼が作る食事は堅くて辛そうである。これが魔王・女神・閻魔となると、パッと想像することができない。

 

 

 

 それを思えば、例えば「栗原さんちの~」というシリーズがあったこともうなずける。料理研究家栗原はるみさん、その食卓で提供されるであろうというコンセプトの商品で、これもイメージしやすいものである。また、「タニタ社員食堂の~」というのも同じであろう。いずれにせよこれらは、その場所で提供されるであろうことが想像しやすいという共通点がある。

 

 提供者としてある存在が設定されている商品の名前で、現行市民権を得ているものはすべて、その存在がどんなものを提供してくるかがイメージしやすいという共通点がありそうだ。

 

 

 

 

 

 しかしこのように考えた場合、不都合の出てくるものがある。このテの商品で最も広く流布していると言っても過言ではないお菓子、おばあちゃんのぽたぽた焼である。

 

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左手をよく見ると火鉢を直でいってる。剛の者


 

 

 おばあちゃんと言われたとき、我々がまず想像するのは自分の祖母であろう。しかし、一口に祖母といっても、その人となりは千差万別だ。決して一概に決めつけられるものではない。そういう意味ではおばあちゃんとは、我々にとってイメージはしやすいものの、イメージがひとつには定まりにくいものである。

 

 そしてそのような数多のおばあちゃんの中で、煎餅を焼いてくれる祖母が果たしてどれだけいることか。っていうか煎餅って自宅で焼けるのか?ホットサンドマシーンとかでいけるんだろうか?

 

 

 

 そのような危惧もあったのだろう。おそらく亀田製菓はそのようなイメージの”ブレ”対策に、パッケージにそれとなく老婆のイラストを配置している。

 

 しかしだ。ここまでステレオタイプなおばあちゃんが、いったい日本に何人いるのか。言うもさらなり、現代ではほぼ存在し得ないだろう。とすればこれは、おばあちゃんという観念をひとつに固定するための謀略行為にすら思えてくる。私たちの作り上げる祖母像、その幻影に従ってこの商品を買え、買え。そんなメッセージすら透けて見えそうだ。

 

 さらに言えば、ぽたぽた焼き”とはそもそもいったい何なのか?という疑問に行き着く。ぽたぽたという擬音が用いられる場合、それは往々にして、夜中に水道の蛇口がわずかに開いて水が滴っているときだけだ。パッケージに描かれているまるで温容な老婆の姿とはかけ離れたイメージである。それとも、ぽたぽた焼きは本当にこのような工程を経ているのか。夜中の廃墟に焼く前の煎餅を持ち込み、蛇口をわずかにひねって醤油と砂糖の混合液をポタ…ポタ…と垂らしているのか。だとすればその者は君の祖母ではない。れっきとした魔女そのものである。

 

 

 

 明日から我々は、この商品名を読み替えねばならない。これはおばあちゃんのぽたぽた焼きではない。魔女のポタポタ焼きだ。あの柔和な表情に騙されてはいけない。その裏には巨大な陰謀が隠されているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 と、ここでぽたぽた焼き食べ終わったので終わりにしたいと思います。いやーほんとおいしいよねこれ。ではまた。